被爆73周年原水禁世界大会・福島大会に参加して
去る7月28日(土),福島県教育会館で標記大会が開催され,宮城ネットを代表して参加してきました。元南相馬市長の桜井勝延さんや,福島県選出の高校生平和大使の方のアピール,原子力資料情報室共同代表の山口幸夫さんの講演など,どれも熱気あふれるお話を全体会でお聞きしました。「核と人類は共存できない」とする立場で,原発を含めてすべての核利用に反対してきた原水禁の立場からすれば,3.11以降の福島県から原水禁世界大会をスタートするのは,大変意義のあることだし,当然のことと言えるでしょう。
その後分科会が行われました。私は第3分科会の「賠償問題(ADR問題・自主避難者問題)」に参加しました。自主避難者の困難な状況,人々の無理解や国や東電の無責任,学校でのいじめ等々,問題は多義にわたっていました。3.11以前は年間1ミリシーベルトが基準だったと思うのですが,今は20ミリシーベルト。大丈夫だよと言われても,にわかに権力側の言い分を信じることができるでしょうか? 子どもがいればなおさら! しかしこの極めて明快な論法を,自主避難を批判的に考えている人たちにはなかなか理解されない。ここに分断が生まれます。分断はいじめを生むし,差別構造を作り出します。自主避難者に対しては何もしたくないという国や東電の思惑を下支えすることになります。
もう一つ,原子力損害賠償紛争解決センター(ADRセンター)の仲裁には強制力がないことを知りました。東電は最近,和解案を飲まないことが多くなっているとのこと。しかしお金の問題なのか? もとに戻してほしい,放射能のない3.11以前にしてほしい,というのが避難者たちの願いです。ではそれができるのか? 除染は放射能の移動と拡散による希釈ですので,元に戻す作業ではありません。元に戻すことは不可能です。だから東電はお金で支払うしかないでしょう!!これも明快な説明。スカッとしました。
被害者が声をあげなければ終わりだ,という思いが,自主避難者の方々から表明されました。かつての公害被害者たちは声を上げ続けました。原爆被爆者たちもそうです。私たちもその声を聴くこと,そして同じ場所に立って同じ声を上げること,大切なことを学んだ一日でした。
(コトブキ)
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